三国演義
日本人にはあまり聞き慣れない称呼であるが、中国では歴史書と小説を厳密に区別し、後者を『三国演義』と呼ぶ。
講談などによって生み出された三国物語は、宋から元にかけて、文字に記された読書用テキストに姿を変え享受されるようになる。それが、我が国の内閣文庫に残る『全相平話三国志』である。明代中期(15世紀末)、羅貫中と名乗る人物が、この平話の三国志物語と『三国志』・『後漢書』・『資治通鑑綱目』などの歴史書を参考に、小説『三国演義』(ただし、原作は『三国志伝』という名前だったろう)を創り出す。
中国の昔の木版本は、版を重ねるごとに字句にも手を加えたりするため、その後明末までたくさんの異本が世に出回るが、清朝初期に、毛綸、毛宗崗父子が改編したいわゆる毛宗崗批評本が当時の市場を独占し、今に至るまで読み次がれている。
日本においても現在通行している訳本は、この毛宗崗批評本に基づいているものがほとんどであるが、江戸期、我が国で最初に刊行された『三国演義』の訳本『通俗三国志』は、明末の『李卓吾先生批評三国志』系統の書に拠っているいるとされ、有名な吉川英治『三国志』もこの『通俗三国志』が種本である。
明代、嘉靖元年に刊行された『三国志通俗演義』。